2016年11月30日(水)

皇女和宮と塔ノ沢

梅雨の時期には箱根登山電車沿線に多くの紫陽花が咲きます。

ライトアップされた紫陽花の中を「夜のあじさい号」がこの時期だけ運行します。

塔ノ沢駅から25分ほど山道を登った場所にある阿弥陀寺は箱根の紫陽花寺として有名です。阿弥陀寺は幕末の将軍家茂公に嫁いだ皇女和宮(かずのみや)様の菩提寺です。

阿弥陀三尊像や皇女和宮様ゆかりの像、そして皇女の位牌も祀られています。

 

 

皇女和宮様は激動の幕末に公武合体の象徴として将軍家に嫁ぎます。

婚約者がいたにもかかわらず、政略に巻き込まれる形での結婚を余儀なくされました。

大河ドラマの「篤姫」や「大奥」等のドラマで演じられるように、将軍家へ下ることによる軋轢や苦労はたくさんあったと思われます。

しかし政略結婚ではあったものの、家茂公との夫婦仲はとても仲睦まじかったといいます。

 

 

家茂公が第二次長州征伐の最中に大阪城で薨去されたため、わずか4年の結婚生活でした。出陣の前、家茂公から遠征の土産を選びたいと聞かれた和宮様は西陣織を希望されました。そして大阪から戻って来た遺品の中には約束の西陣織もあったのです。

 

和宮様が詠んだ歌です。(私の意訳です。)

 「空蝉の唐織ごろもなにかせむ綾も錦も君ありてこそ」

(西陣織を届けてくれた心遣いをたいへんうれしく思いますが、この綺麗な着物も貴方がいなければ何の価値もなくなってしまいます。)

 

「三瀬川世にしがらみのなかりせば君諸共に渡たらしものを」

(世の中の立場や身分のしがらみがなかったら、今すぐにでも貴方を追いかけて一緒に三途の川を渡りたいです)

 

 

二葉亭四迷は、I love youを「死んでもいい」と訳しました。

夏目漱石は「日本人はそんなことを言わない。『月が綺麗ですね』とでもしておきなさい」と訳したと言います。

言葉は違えどもいつの時代にも愛の形はあったと感じます。家茂公の死後11年後、皇女和宮様は箱根の塔ノ沢温泉で静養中、31歳の生涯を終えました。

早川の流れを眺めながらどのようなことを感じていたのでしょうか。自由な現代に生まれた私たちは自由な愛の形がありますので、今を後悔しないように行動したいものです。

2016/11/30 12:13 | 未分類

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